HOMEROOM

vol.3

伝統の境界を飛び越えて

セキサカ 代表 関坂達弘さん

1701年に関坂与平衛により関坂与平漆器店として創業、漆器メーカーとして地元に根付いたものづくりを続けられている、現・株式会社セキサカ。 その代表である関坂達弘さんは、現在漆器の製造業をベースに、オリジナルプロダクトの開発や、直営店でもあるセレクトショップ、ataWの運営・企画など、その300年もの歴史を背負っているとは思えないほど軽快に、今の時代のものづくりの世界を開拓されているように見えます。 その背景にどんなストーリーがあるのか、お話を伺ってきました。

__デザインやアートを扱うお店を始めるきっかけになったであろう、海外留学の経験について教えていただけますか?

もともと海外には興味があって、東京の大学に在学中にバックパックで海外に行くようになって、長期の休みにはバイトして海外に行くというのをずっと繰り返していました。ヨーロッパやアジア、アメリカを行き来して、いろんな国に行きましたね。 卒業したら就職するつもりだったのですが、デザインにも興味を持ち始めていたので、金沢にあった金沢国際デザイン研究所(KIDI)という学校に行きました。カリキュラムの後半はNYのパーソンズでも学べるというものだったのですが、デザインを学んでいるうちに、機能性優先で大量生産される商業ベースのデザインよりも、自分の心に近い部分での物に惹かれていく所があって。その時にコンセプチュアルデザインという思考と手法で注目を浴びていたドローグデザイン(*1)を知って、商業ベースに乗らない、個の思想を前面に出した自由なものづくりに衝撃を受けて、コンセプチュアルデザインを学ぶためにオランダのデザイン・アカデミー・アイントホーフェンという学校に行くことになりました。

*1 「ドローグ」とは1993年にオランダで発足し、現在も存続する、デザインの新動向を巡る人々のゆるやかな活動体およびブランド名のこと。中心となった人物は、デザイン編集者/デザイン史家のレニー・ラマカースと、プロダクト・デザイナーのハイス・バッカー。コンセプトとプロセス、作品性、作家性を重視し、従来のデザインの範疇を超える編集的なアプローチを採り、アート志向も強い。当初は、アウトプットの生産による利潤の追求を否定して来たが、そのことがひとつの「神話」や「ブランド」となり、その結果、製品展開を行なうようになった。

__その学校ではどんなことを学べるんですか?

その学校は、カリキュラムから変わっていて、学科を概念で分けるんですよ。 マン・アンド・ウェルビーイング、マン・アンド・アクティビティ、マン・アンド・パブリックスペースとか。どの学科にいても好きなものを作ってよくて、ただ学科ごとにカラーやテイストが強く出ていて、それが新鮮でした。課題はテーマだけ与えられて、グラフィック的な作品を作る人もいるし、家具を作る人もいるし、器をつくる人もいるし。 テーマに沿っていれば何を作ってもいい。 自由度は高いのですが、評価の基準は先生の好みや感覚によるものもあり、シビアな部分もありました。 感覚的なことや、エッセンス、コンセプトの作り方や作品の見せ方はすごく影響を受けたので、そういう意味ではオランダに行って良かったなって思います。 ただ日本も多かれ少なかれ商業ベースの社会なので、オランダで学んだことを日本の社会でそのまま活かすのは難しいなって思いましたね。笑 

__海外で学んだ後、クリエイターを目指していたわけじゃないんですか?

オランダで学ぶうちに、自分はそっちじゃないなと思ったんです。 努力した分の評価はもらえましたが、持って生まれたものじゃないって、周りの才能ある人たちにつきつけられました。自分の作品を作って作家活動をするのは自分には向いてないと思いました。 オランダ人の美大生は就職っていう概念が薄いので、国からの補助を元に卒業してすぐにスタジオを立ち上げる人が多かったですね。作品をミラノサローネなどの国内外の展示会で発表して、それらが評価されギャラリーが付いて、何十万、何百万という値段で作品を売って生きて行く世界なんです。そんな感じを見て帰って来たので、そこである種の挫折を味わいましたね。どうするんだろう?って。 日本に帰ってきてからしばらくは就職活動をしたり派遣で働いたりしていたのですが、ある時に、大学の友達の紹介でグラフィックデザイナーを探している人がいると聞いて、早稲田のサークルから生まれたデザイン会社の立ち上げメンバーとして入社しました。実際5年ほど在籍して広告からアイドルの写真集、ウェブデザイン、書籍の装丁、ファッションブランドのテキスタイルデザインまでいろんな案件を経験させてもらいました。

__オランダで学んだ時の衝撃や目の当たりにする事実、日本に帰って来た時、現実のギャップがあったのかなと思うのですが、どう気持ちの整理をつけていたんですか?

僕は、作品を作って発表したりするタイプではなくて、どちらかというと裏方でいたいという気持ちがあったので、そういうギャップはなかったですね。オランダで得たことが直接的に、日本での仕事に繋がっていたかといえばダイレクトには繋がっていないんですけど、ただ、その考え方や感覚、そこで学んだことは、僕の中で資産にはなっていますね。今となっては、デザインの仕事もあらゆるジャンルの案件をしてきたことが、物事を広い視野で俯瞰で捉えれるようになったのかなと。

__東京でデザイナーとして働かれた後、福井に戻って、ご実家の会社である関坂漆器(現・セキサカ)を継ぐ形になられたわけですが何かきっかけがあったのですか?

僕は次男でしたし、正直継ぐつもりはなかったんです。兄も妹も働いているし、いわゆる家族経営ですよね。 けど、ずっと帰ってこいと言われていました。兄が職人気質なのに対して、僕は論理的に物事を考える方だったので、どちらかというとタイプ的には僕だということで。7年前に、いよいよ実家がやばいとなり、急遽新幹線に乗って帰って家族会議になり、そのときに腹をくくりました。業務用食器の方はなんとかやれてたのですが、店舗の方(現ataW)は、当時から店舗を担当していた妹や母親の休みが週に1回しかなく、水曜日以外は土日含め店は毎日営業していました。 それなのに利益は出てなくてマイナスが膨らむばかりで、この状態にしておくのはまずいなと思って。

__関坂漆器を引き継いでこれからどうやって行こうと思っていますか?

元々、業務用のプラスチック食器がメインで、この産地でも8割のシェアを占めていて、すごく大事な仕事なんですが、それを今後も続けて行きたいと思えなくて。その業界では機能性や安全性、価格だったりが最優先に求められて、3~4年のサイクルで廃棄されてしまいます。そして見た目も美しくなくて、僕自身がその食器でご飯を食べたくない。僕はそこにどうしても魅力を感じれなくて、、、 なのでこれからは、業務用のベースは残しつつ、自分が本当に使いたい、使って欲しいって思えるプラスチック製品を作りたいなと思います。 それとは別に、外部の信頼できるデザイナーと一緒に、今までにない視点でのプロダクトづくりに力を注いでいきたいなと思っています。 プラスチックって必ずしも悪ではなくて、適材適所で使われれば必要なものだと思うんです。従来のプラスチック並みの強度を持ちつつ、トウモロコシやジャガイモから作られる100%自然由来の樹脂を活用した製品開発を進めていたりもします。また、今はスイスのデザイナーと一緒にカトラリーのシリーズを開発していて、すごく良いものができてきており、早く発表したいですね。

__本漆の方はどうしていくのですか?

漆器はセキサカのルーツなので改めて掘り下げて現代のライフスタイルに合うような漆器製品を作っていきたいと思ってます。 今も二組のデザイナーとトレイや壁掛けのミラーといった漆塗りのプロダクト開発を進めています。 プラスチックの製品と比べると量は作れないし、納期もコストもかかりますが、漆は知れば知るほどとても面白い素材なので、漆の魅力を新しい形で伝えていけたらと思っています。

__それともまた違うと思うのですが木工作家の西本良太さんの、ガムテープやおたまに漆を塗った作品がありますよね。ああいった作家物も見ていてワクワクします。

あれって、既製品に漆を塗ってるだけなんですよ。だけど彼の視点で「選ぶ」ってことが作品になっているんです。溜塗っていう伝統的な塗り方があって、下に朱色を塗って、その上に透き漆を塗ると角の部分の漆がひけて、下の朱色が見えてくるのを彼が気に入ってくれて、既製品を全部溜塗で塗ってみるという企画展を開催しました。漆に慣れ親しんだ職人さんの中には面白がってくれる人もいたり、?な人も当然いて。笑 結果的には漆の魅力や素材の特性をこれまでとは違った形で見せることが出来たと思います。

__会社や、工場だけではできない表現が、お店があることによってできるということですね。

そうですね。今年はやらないんですけど「アタウローネ」というミラノサローネにかけた企画展をやっているんですけど、外からデザイナーを何人か招待して、和紙の職人や漆器の塗師、漆を塗る前の木の素地を作る木地師などのいくつかの工房を見て回って、気になるところの技術をピックアップしてもらって、自由に作品を作ってもらうという試みを3年前からやっています。それもお店だから出来ることで、機能があろうがなかろうが何でもいいんですよ。一番意識してほしいのは、技術や素材を新しい視点で、ちょっと違った見せ方なり、活用の仕方なり、新しい発想なりを見えるようにしてください、というのはみんなにお願いしています。 アタウローネがあったからこそデザイナーと職人の間で関係性が出来て商品化に到った例もあり、それを聞いた時は純粋に嬉しかったですね。 職人さんもすごく喜んでいるし、それは理想的な形だなって思います。

__デザイナー、職人、どちらかのエネルギーが完全に及ぶのではなくて、お互いの力が重なるのがいいですね。

そうですね。結構難しいですね、そこまで持っていくのは。 最初は怖かった職人さんとも、飲みにいったりして徐々に打ち解けて行きました。 たまに言われるのが「関坂くんと出会ってから、見える景色が変わった。』って言ってくれて、それはすごく嬉しかったですね。そういうことが少しでも増えてくれればなと思っていますし、それが裏方として僕が出来ることなのかなと思います。

__仕事をしていて楽しいなと思うことは何ですか?

デザインを学んでいる時って葛藤があるじゃないですか?ライバル心もあるし、自分も精一杯頑張ったから割り切れない部分もあるし。 でも、こっちに帰って来て初めて、以前ライバルだった友人のデザイナーたちに仕事として頼むということをやり始めた時に、吹っ切れた部分があって。 彼らのデザインは自分が一番理解しているし、持ち味とか特性も知っているので、自分が仕事をお願いして産地の技術との組み合わせで出来上がってくるデザインには、やっぱりワクワクしますね。 もちろん製品が出来てそれで終わりではなく、彼らと共に作り上げた製品をメーカーとして実売につなげ、彼らにもしっかり還元していきたいと思います。

__最後に、関坂さんにとって働くとは、仕事をするとはどういうことでしょうか?

難しいですね。ただ極力自分の趣味趣向に近いフィールドにもっていくようにはしていますね。本来なら元々あるレールの上でやって行くのが順当だし、その中で販路も広げていくのが効率的なやり方なんですけど、それができないし、レールの上でやって楽しくないなら、やめた方がいいやって思って、できるだけ自分のフィールドの中で楽しめるような業務内容に少しずつシフトさせてます。 ただ引き継いだ会社や体力があったから様々なことにチャレンジできた部分もあって、それは最大限に利用しようと思っています。だけど、今までと違う方向に変えれたらいいなと思います。周りからは「300年の歴史があると重いよね。」とか言われたりしますが、僕の代で会社が終わってもいいかなと思っているんです。正直、伝統や継続すること自体には興味がないのですが、自分の会社の従業員を始め、外部のデザイナーや職人さんには、一緒に面白がったり楽しんでもらえるような場所や環境、機会作りはしていき、それが結果として継続していくものになるのが理想です。 

__関坂さんの代で今までと違うステージが作れたら、別の意味で続いていくのかもしれないですね。貴重なお話をありがとうございました!

歴史を重んじるのも大切だけれど、どうやって今の時代に合わせていくのか?伝統ある産業の現場にとって、それは一つの大きな課題だと思います。ただ、それよりもまずは何がワクワクするのか、どういうものが美しいと思えるのか。 世の中を変えていくのは、まず自分自身が楽しめることを突き詰める、純粋なエネルギーなのかなと感じました。 古さと新しさ、伝統と革新、そんな境界すら感じさせない関坂さんのものづくりから生まれるプロダクトは、人や物を繋げながら、世界の境界も飄々と飛び越えていきそうです。

セキサカ 代表
関坂達弘
Tatsuhiro Sekisaka
株式会社セキサカ代表取締役。1980年、福井県生まれ。2002年、成蹊大学文学部英米文学科卒業。2004年、金沢国際デザイン研究所(KIDI PARSONS)卒業。2007年、オランダのDesign Academy EindhovenのMan&Well-being科卒業。帰国後、東京でデザイン事務所に勤務。2014年、株式会社セキサカ(旧関坂漆器)に入社。2019年5月、同社の12代目代表に就任。
https://sekisaka.co.jp
https://ata-w.jp